激動の3週間が過ぎ思うこと

2019.10.14 22:37

9月21日(土)

夜20時過ぎ、台所で倒れて意識をなくしている母を父が発見。

救急車に同乗し、救急病院へ搬送。

もっとも緊急度の高いSCU に入院。

CT の結果、脳の視床部からの多量出血で意識が戻ることはないと担当医から説明を受ける。

娘が車で後から来てくれて、夜遅く帰宅し父に状況を説明。

人工呼吸器を口から挿管

9月22日(日)

息子が来てくれて、父を伴って病院へ行くと、病室を変わるということで1時間近く談話室で待たされる。

脳神経外科病棟のSCUに転室。

9月25日(水)

二度目のCT を撮る

この時点でかなり自発呼吸が出来ていて、CTを撮る間は人工呼吸器を外したままで大丈夫だったらしい。

9月27日(金)

義姉と二人で病院へ行くと主治医から呼ばれ、説明を受ける。

緊急措置として入れられている人工呼吸器は、2週間以内に外す必要があること。

もし自発呼吸が出来ない場合は、気管切開をして新たに人工呼吸器をつける必要があること。

担当医に母が延命措置を拒否する旨の文書を私に預けていることを伝える。

翌週(9月30日~)から徐々に人工呼吸器の補助を減らし、自発呼吸が出来ているか様子を見ながら、外す段取りをすることになる。

10月2日(水)

午前11時半頃担当医から私の携帯に電話があり、今から人工呼吸器を外す旨を再度確認される。

もし、すぐに再挿管の必要が生じた場合は外せないという説明を改めて受ける。

午後から病院に行くと、酸素マスクをしてまずまずの状態。

10月3日(木)

午前中に母の容態が悪いと担当医から電話が入る。

血圧が一時50まで下がったらしい。

が、午後から病院に行った時点では持ち直している。

それからは自発呼吸+酸素マスクという状態が続く。

10月5日(土)入院から2週間

3度目のCT撮影

10月7日(月)

介護認定の調査に立ち会うため、10時半に病室へ行くと緊急度が低くなったためか、部屋が移動になっていた。

その後、担当医から呼ばれて「容態が安定してきているので、転院の相談を進めていく段取りになる」と説明を受ける。

10月10日(木)

午前中、転院のお世話をしてくれる担当者から携帯に電話が入り、同日午後に看護師長といっしょに3人で面談をする。

3か所の病院を選定して告げるも、どうにも納得がいかず一人で悶々と考える。眠れない。

自宅で看れないのか考え始める。

ケアマネージャーにメールで質問を送る。

10月11日(金)

地元の母のかかりつけ医に出向いて40分ほど相談をする。

自宅でも看ることは出来るが家族の負担が大きすぎるとおすすめはされなかった。

私の方から「経鼻栄養は止めることはできないのか」と聞いたことがきっかけで、自宅で看取る方法があることがわかる。

主治医も「もし僕が(母と)同じ状況に置かれたら、経鼻栄養も点滴もやめてくれと言います」とキッパリ。

私の中で決心する。

こういった死生観に関わることは、患者の家族から話がないと医療者側からは提案されることはないようだ。

ケアマネージャーから電話があり、主治医と話した内容を伝え、自宅で訪問看護、訪問介護を受けたいので、どうすればいいのか相談する。

受け入れ態勢を整えて、入院先に患者を引き継ぐためのカンファレンスに出向くことになるということを知る。

午後から一人で病院へ行き、看護師長さんと話をしたいと申し伝える。

母の酸素マスクが外されていて、呼吸も血圧も脈拍も安定しているので安心する。

前日、転院の話を進める時に同席してもらっていた看護師長さんに、その後の心境の変化を伝え今後どうすればいいか、流れを聞く。

「スムーズに引き継ぎができるように尽力いたします」

「それまでは変わらずこちらでお世話させていただきます」

「すばらしい決断だと思いますよ」と背中を押してもらう。

優しい言葉に涙がこみ上げてくる。

家族に事の顛末を説明し同意を得る。

母の希望を叶えてあげられる可能性が出てきたことに少し安堵する。

が、相変わらず私の喉には鉛が詰まったまま。

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明日は私のいとこが2人見舞いに来てくれるそうなので、時間を合わせて病院に行きます。

いとこに会うのは何十年ぶり?!

とりあえず時系列にまとめてみた。

まとめるとずいぶん簡単にみえるな。

恐ろしいほど激動の3週間だったのに。

およそ1年ちょっと前

生まれたばかりの”りおな”を抱く母
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さ、明日からも頑張ろうっと。

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2019.10.14 22:37tody

Posted by どらみ