【在宅での看取り】最期の一日が振り返られるようになりました
5日間のご無沙汰でした。
ようやく日常が戻ってきました。
15日に母が息を引き取って、16日が仮通夜、17日が通夜、18日が告別式という日程でした。
昨日は葬儀社のアフターサポート部の方が集金に来られ、今日はそちらの紹介で行政書士さんが相続や手続きに関しての無料相談に来てくださいました。
忘れないうちに、15日のことを書き残しておこうと思います。
7時前に私が行くと、熱は38.1度あり、痰が喉の奥でゴロゴロと言っていたので痰の吸引をしました。
この日は金曜日で、L看護ステーションの担当の日でした。
前日、Y看護ステーションの看護師さんに髪を洗ってもらった母の血圧は上が104、下が60でした。
だけど15日の朝の血圧は上が74、下が40まで下がっていました。
午前9時には、呼吸も一番心配した火曜日の朝と同じような、顎で息をするようなそんな状態が見られました。
酸素濃度の方は、何度も測定を試みてくださいましたが、結局測ることはできませんでした。
朝の時点でまだ排尿はありました。
危ないかもしれないな、そんな予感は朝からありました。
そのため、前日いい葬儀さんで候補に上げた葬儀社の方に相談をするため、昼過ぎにわが家に来てもらっていました。
ただ、ちょっと直前すぎた感はありました。
もう少し早く担当者と直接面談をしていたら選択が変わったかもしれませんね。
その間も、娘に母の様子を見に行ってもらったりして常に状態を確認していました。
父はといえば、庭の柿の木を切っていましたね(;´д`)
そして金曜日の夕方のL看護ステーションの訪問時間は午後3時の予定でした。
だいたいいつも15時ちょうどぐらいに来られるので、私は10分前ぐらいに母のところに行くようにしていました。
この日、12分前ぐらいに二階の窓から下の自転車置き場を覗くと、すでに看護師さんたちの自転車が停まっていました。
なので慌てて、私も母のところに駆け付けました。
2人の看護師さんに挨拶をして、一緒にそばに立って様子を見ていました。
すでに検温は終わっており、37.1度でした。
ただ、私が駆け付けてほんの2~3分後のことだったでしょうか、次第に母の呼吸は弱くなり、脈をとっていた看護師さんが「(脈が)止まりました」と告げられました。
本当に、看護師さんや私がそばに来るのを待っていたかのような臨終でした。
頼れる看護師さんが来られた直後でしたので、少しも慌てることなく最期を見送ることが出来ました。
すぐに看護師さんの方から主治医に電話を入れてくださり、クリニックの午後の診察時間まで1時間あったので、すぐに来ていただけました。
最後は主治医が診断し、死亡宣告がされました。
その時刻が15時15分でしたので、死亡診断書にはその時刻が記載されました。
あっという間の出来事でした。
そこからは、担当した看護師さんが次々に集まってくださり、なんと頼もしかったことでしょう。
訪看さんの力、凄すぎます。
もしも、看護師さんの訪問予定時間じゃなかったら、きっと慌てていたでしょうし、気も動転していたと思います。
本当に、自宅での看取りにとって、このタイミング以外ないだろう!というぐらい有難いタイミングでした。
そこからは、葬儀社を決めさえすればすべてが進行します。
明日はその続きを。
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