文章の誤字脱字誤変換について感じること
記事を書いて「公開」ボタンを押す前に、文章に誤字脱字や誤変換がないか、目を皿のようにして、何度も何度も繰り返し読んで確認します。
当然です。
けれど、文章の誤字脱字に気づかず、そのまま「公開」してしまう、ということがあります。
いつ気づくのか?というと、ずっと後になって読み返した時です。
今日もひとつ発見して焦って修正しました。
「満足のいく結果になってから、通常の記事に経過の内容を書きたいと思います。」
というところを
「満足のいく結果になってら、通常の記事に経過の内容を書きたいと思います。」
合っているように錯覚してしまうのですね、どうしても、自分で書いた文章を自分で校閲しても。
校閲のプロでもないですので、どういう見直し方がいいのかなんてわからないので、見直す時は、一節一節、噛みしめるように読み直しているつもり、なのですが。
ところが不思議な事に、他人が書いた文章はすぐに校閲箇所が見つけられちゃいます。
でも、なかなか指摘するのははばかれますし、実際指摘することはごく稀です。
ただ、私は、ある誤りにとても敏感で、それは「ず」と「づ」の使い方なんですが
辛いものずきが辛いものづきとはならない様に、「ず」と「づ」には濁音になる前にちゃんとした日本語として意味があるはずなのです。
それが、日本語の難しいところでもありますね。
辛い(つらい) が 濁ったものが ずらい には絶対になりません、そこは 絶対にづらい です。
譲れないのです。
だから、文章に「ず」と「づ」の平易な誤りを発見すると、瞬時に読むのを止めてしまうほど、なんです。
もうこれは敏感じゃなく過敏と表現した方が正しいです。
だからこそ、自分は間違った文章のまま「公開」して「後悔」はしたくない。
もう何年も前ですが、私よりずっとずっと知識人の人から
私がよく「いちようね」と発言するのをズバリ訂正されました。
発音してしまうと、曖昧になりがちな音だったのですが
「いちよう」じゃなく「いちおう」でしょ、と。
はい!そうでした!
あと、これも指摘されました。
たとえば自分の子どもに「~を買ってあげた」は間違い!と。
「~を買ってやった」でしょ!と。
はい!すみません!
という感じです(笑)
でも、やっぱり「~あげた」と使っちゃいますけどね。間違いですってよ、奥さん!
ある方のサイトで発見した誤変換
「あくまで私の意見(例)」
を
「飽くまで私の意見」
と変換されていました、しかも何度もね。
え?正しいの?と錯覚しちゃうほど。
他にも数え切れないほど、誤字脱字を発見してしまいました・・・
指摘したくても、やっぱり見ず知らずの人には指摘できない(結果=気持ち悪い)
知っている人でも指摘しづらい。
ということは、やっぱり自分の誤りも自分で発見するしかないのです。
気を引き締めようと思ったって話です。
今日の洗濯機の悪臭レベルは昨日より-1の「6」かな。
あんまり下がらんね~~~
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