母の意識が戻らないことを祈るしかできない

スポンサーリンク

意識が戻らないことを祈るなんて、本来の願いとは正反対のようですが

今の状況で患者の意識が戻るほど残酷なことはありません。

主治医の最初の診立てどおり、どうかこのまま意識が戻りませんように。

残った命のろうそくを自発呼吸で短くしていくことができますように・・・。

21日で時間の止まってしまった母は、口を開けば不満ばかりでした。

何がどうなれば不満じゃなくなるのか、不可解なほど、不満ばかりを口にしていました。

私しか話す相手がいないので、ただただ発散していたのかな、とは思います。

腰が痛い、足が痛い、歩きにくい、食べにくい、体がかゆくて苦痛、通院が大変、あれがいや、これが面倒、、、

5年日記がベッドの上にあったので、ペラペラと最近のページをめくってみたら

「はよ死にたい」と、ある日の日記に書いてありました。

身の回りのことは自分でできるとはいえ、見当識障害の症状が日を追うごとに悪化していて

同居している夫からはボケてるボケてると激しく責め立てられ、86歳の老婆に前向きな気持ちになれという方が酷です。

私が間に入って「そんなに責めても仕方ないやん!」と言っても、父の口撃は向ける先を失ってその時不発になる程度で、何度も繰り返されました。

わかるけどさ、仕方ないやん!どうしようもないやん!

ボケてる人にボケたこと言うな言うても、無理やねんから。

それでも、9月になってからは血圧の具合がちょうど体にあっていたのか、調子もよくなり、父からの口撃を受ける日も減り、私の呼び出しもなく、落ち着いていた矢先でした。

8月27日には夜明け前に5回も私の携帯に着信が入っていましたから、そんな日に比べればずいぶん改善したと喜んでいました。

ただ、一人で買い物に行かせたりするのは、いろんな意味で不安になってきていたので、相当な頻度で介助が必要になってきたな、、、とは感じていました。

9月中にはエンディングノートを聞き取りしながら作っておかなきゃダメだな、と思っていた矢先の出来事でした。

ほとんどのことはすでに私が介入していたので、わからずに困ることは少ないのですが・・・

クレジットカードも持っていないし、ネットでの取引など何もありませんからね。わかりやすいです。

自分のエンディングノートは、さっさと完璧にしておかないといけません・・・ね(完成してないけど)

父と私は今までほとんど会話したことがありませんでした。

その父と、毎日会話しなきゃならない状況になっていることにも、壮大な違和感を感じています(6 ̄  ̄)

だけど、これまた私しか対話できる人がいません。

先日、義姉が来た時に「ああいう老人いこいの家みたいなところへ行って、話とかしたらええんちゃうの?」と父に言うと

「そんな年寄りばっかりのとこへ行けるか!」と言うので、義姉と大笑いでした。

自分が最年長の年寄りや!ちゅーねん!

とにかく人と関わることを極端に嫌う人なので、この先が思いやられます。

唯一救われているのは、母と比べればずっと頭がしっかりしていることと、ちゃんと食べられることぐらいでしょうか。

手続きはいっさい何もできませんけどね。

ま、何かあった時は、娘の夫が現役の社会保険労務士だし、手続きに関することは彼に聞けばなんでもわかるでしょう。

書類を集めたり書いたりするのは、得意ですし(私がw)

とにかく自分がしんどくならないようにほどほどにするのが一番大切なようです。

明日はまた叔母(母の妹)を連れて病院に祈りに行ってきます。

1

コメント

  1. 京とらこ より:

    どらみさん
    様子が気になってこちらに来てみました。
    以前から本当に大変な思いをされていたのですね。

    何の参考にもなりませんが、うちの父は9年前、80歳の時に車に撥ねられて6、7メートル飛んで頭をうち、母もショックで認知症を発症し、ダブル介護が始まりました。

    父もICUで気管切開もしましたし(後で塞ぎました)、目を開けるのに9日、3年後には医師の勧めで胃ろう造設もしました。成年後見人になり、(父が要介護5になった時に)介護の資格を取るなど一通りいろいろしてきましたので、
    どらみさんの大変な状況をお察しできるかなと思います。

    本当に全てを背負い込むのは無理、今でも十分すぎるぐらいなさっているので、
    ご自身の健康を第一に生活をなさってくださいね。
    お父様も本音はお寂しく不安なのだと思います。
    ご迷惑でなければ、また投稿させていただきますね。
    くれぐれも御身大切になさってください!

    • どらみ より:

      京とらこ さん

      ご訪問ありがとうございます(__)
      痛みを共有していただいて、本当に感謝しかありません。

      母が倒れてから今日で9日経ちました。
      1時間近く病室でモニターを見ていましたが、ずっと自発呼吸が続いていました。

      とりあえずは次のステップに移るんだろうな、ということがぼんやりわかる程度です。
      9年前に80歳・・・
      もしかして、昭和4年生まれですか?お父様。
      うちの父が今ちょうど89歳なので。
      お母様のショックがいかほどだったかも想像できます…

      とにかく私がしっかりしていないと立ち行かない状況なので
      いつか反動が襲ってくるんじゃないかと不安を抱えつつ、やるしかないのでやっている、そんな毎日です。

      また貴重な体験談を聞かせてもらえると、ありがたいです。

  2. 京とらこ より:

    どらみさん、こんばんは!
    今日は人工呼吸器をはずして第一段階をクリアされたとのこと、ホッとされたでしょうね。本当にこういう時の病院からの電話は心臓に悪いです(・・;)

    うちの父は(昭和5年2月生まれです。お父様と同学年?)、事故から4時間半後にかけつけた私の声を聞いた時に、かすかに口元が動いたので「これは脳幹出血が止まればいけるかも」と思いました。午前1時頃だったでしょうか。
    お昼頃に行った時にはベッドの位置がICUど真ん中から場所が2つほど移動していました。80歳とは思えないきれいな足指だったので、
    「きれいな足!」→足がすっと上がりました
    「足指もきれいね」→さらに足が上がります
    「自慢してるんか!」→す~っと下がりました
    完璧に聞こえていることを確信しました。ただ私の声にしか反応しないので、医師に訴えても「誰が声をかけても反応しないと意識が戻ったとは言えません」と言われるだけでした。その後も「あっちで待とうか」と家族に言うとジタバタ体を揺らしたり、面白い話をすると腹筋がクックッと動いたりしました。
    8日目に医師と「目を開けてくれるといいのにね」と言っていたら、翌日パッチリ目を開けました。母は「こんな嬉しいことはない」と喜んでいました。

    長くなってごめんなさい。私はメモ魔で、父が事故にあった日から専用のメモ帳につけています。警察、検察(立件→刑事裁判になりました)、弁護士に話をする時に役立ちました。この介護メモ帳は36冊目で終了になります。

    お母様は当時の父よりも年齢が上ですし、体の状態も違いますので、参考にはならないかもしれません。今日お伝えしたかったのは、意識不明というのは当事者が意志を周りに伝えられない状態ではないのかなということです。
    他の方もおっしゃっていましたが、耳は(それこそ最後まで)聞こえています。
    一言二言でも現在のことをお話しして差し上げてくださいね。

    ところで私も土星人(射手座)です(^・^)
    それから、どなたかもおっしゃってましたが、実は何度も「認証されません」が出て、今回も送信できるかドキドキしております。

    焼き肉ディナーで皆様の元気が出ますように!

    • どらみ より:

      京とらこ さん

      コメントありがとうございます!
      何をしていても喉に異物がつかえているような、そんな毎日です。
      うちの父は4年12月生まれなので、京とらこさんのお父様と同学年ですね。

      今は、あまり気のきいた返事ができずにごめんなさい。
      私もメモを残しておきたいと思います!
      ありがとうございます!

      今回の母の脳出血の場合は、視床出血でその出血量も多量で意識が戻らないんだと思います。
      母がいなくなってから冷蔵庫を整理したら、高血圧に繋がりそうな惣菜が見つかりました。
      たぶん、何十年も前から慢性的にああいう食生活をしていたんだろうな、と想像がつきます。
      食生活、大事だなと痛感しています。

      京とらこさんも「認証されません」と出ていたんですか。
      原因がわからなくてスミマセン><

タイトルとURLをコピーしました