【終末期 在宅での看取り】点滴を止めてから九日経ちました

指先に挟んで酸素濃度を測る機械があるのですが、今朝、6時台に母のところに行って測った値は、「77%」と過去最低でした。

機械も異常値を検知して数字が点滅するため、スマホのカメラで撮っても酸素濃度がなかなか写りませんでした。

病院にいたらアラームが「ピロンピロン」とやかましく鳴って間違いなく酸素吸入でしょう。

しかしここにはそんな設備もなければ、酸素吸入をする予定もありません。

正直なところ、点滴をやめてから九日目の今日を迎えられるとは思っていませんでした。

酸素濃度が減るのは当然の成り行きです。

それでも朝の訪看さんの時間にオムツ交換をしたら、漏れるんじゃないかと思うほどたくさんオシッコが出ていました。

もう九日間も水分すら摂っていないのに、、、。

もはや人体の神秘としか言いようがありません。

だけど夕方の訪問時間には排尿は認められませんでした。

主治医からは、「オシッコが出なくなったらあと2、3日やと思ってください」

と言われています。

さすがに見ているのが辛くなってきています。

ただ、訪看さんには本当に毎日良くしてもらっていて、頭のてっぺんから足の先までキレイにしてもらい、私の心にも栄養を与えてくださり、今日があります。

訪看さんからお借りした本の中に、私の心に響く内容がありました。

引用元:なんとめでたいご臨終(小笠原文雄・著)

病院で夜中に死んだら孤独死ではないのでしょうか。苦しさのあまり、うめき声などを発すれば、夜間巡回の看護師が早く気づいてくれるかもしれません。もしも、うめき声などに気づき、医師の到着が死亡前だったら延命措置を行うでしょう。しかしそれは生きるための「治療」ではなく、家族が到着するまで息をさせておくための「措置」であり、最期まで苦しい思いをさせる拷問のようなものになってしまうかもしれませんね。
それなら本人が自宅にいて、仮に誰も見ていないところで亡くなったとしても、それは孤独死ではなく、希望死・満足死・納得死だとは思いませんか。
大事なのは、死ぬ間際のことではなく、生きている間のことを考えてあげること、そして亡くなった患者はもちろんのこと、遺された家族も「よかった」と思える選択をすることです。

今回、自宅で看取ることで色々なことを深く考えさせられました。

もともと意識のある人ならば、意識が混濁してきたら危ないサインとわかりますが、母のように最初から昏睡状態の人のサインはどうなのか、看護師さんや医師に聞いても、自分で体験していないので正直なところあまり理解がすすみません。

だけど、何かあればいつでも電話してきてください、と言ってもらっているので心強いです。

父も夜中はたぶん様子を見ていないのでは?と思います。

患者は不思議と旅立つ時を選ぶと言いいます。

それが最善の時だと思うことにします。

今日もまだ血圧や体温は正常値でしたが、酸素濃度は低くなっていますし、それに連動するように脈拍数は昨日までより多くなっています。

爪の色もやや白くなっています。

指先の温度が低くなってきたせいか、酸素濃度計もなかなか測定できなくなってきています。

明日の朝は、水曜日以来、訪看のリーダーさんが久しぶりに来られます。

私も会えるのが楽しみです。

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tody

Posted by どらみ