10年日記を続けてよかったと思うこと
石原十年日記
実はこの十年日記、二冊目なんですが、理由あって一冊目は廃棄してもうありません。
何年前のものだったかな。
確か、娘が小学3年生ぐらいだったような記憶があるので22年ほど前のことでしょうか。
そして現在の十年日記がこちら
今年で9年目、残り1年です。
54歳の1月1日から始まり、現在63歳。
日記がスタートした頃は、2014年10月生まれのゆいなもまだ生まれていません。
そんな彼女ももう7歳で小学2年生。
その4年後に生まれたりおなも、おしゃべりが得意で姉と同じものが着たい3歳。前に座っているのは息子のところの5歳の次男。
みんな成長しました。
私は最近の健康マイブームで体年齢は若くなっていますww
こんな紙媒体の日記帳は、本人が死んだあと処分に困るだろうと思って、もうこの1冊が終わったらやめようと思っています。
実際、母が残していた3年日記も数冊あり、1冊は棺に納められましたが、他のものは結局普通ゴミに捨てました。
シュレッダーにかけるのも面倒だったので、日記とはわからないように包んで。
私の場合もそんなことになるのだろうと思うと、ちょっと残しておくのがためらわれます。
でも、手書きの日記というのは、デジタルの活字とは別格のものがあります。
なので、2024年からはiPadのアプリに手書きでリスタートしようと今は思っています。
でもね、いくら手書きとはいえ、紙に書くのと、画面にアップルペンシルで書くのとではまた違うんですよね。
それでも、やっぱり、紙媒体を残すのにはとても抵抗があります。
十年日記のいいところ
十年日記のいいところは、なんといっても、同じ日の出来事が簡単に振り返れる、というところに尽きると思います。
今は、ほとんど毎日欠かさず書けていますが、忙しかったりしんどかったりした時代は、ホントに飛び飛びでしか書けておらず
特に2018年はなぜだかほとんど書いていません。
2016年にパールが旅立った時も、ブログの更新をしていたのもあり、紙の日記は後で書き足しました。
この9年間も本当に激動でした。
何度も何度も「苦しくて心臓が止まるかと思った」と書かれています。
朝目覚めたものの、ソファに倒れ込んで身動きできないとも書かれています。
仕事に行くものの、電車の中で苦しくなり、途中下車してなんとか行ったとも書かれています。
ホントにいつ死んでもおかしくないほどの体調でずっと生きてきた気がします。
それらの日々と比べると、今はウソみたいに元気です。
やっぱり食生活の改善によるところと、通い仕事がなくなり、同時にストレスもなくなったことが大きいのでしょうか。
それに、2019年に母が他界しましたからね。
ようやくきつかった呪縛から解放されたんでしょう。
今も、なんだかんんだ、父の介護で、自分しかいないという気持ちが強いので、張り詰めていますけどね。
その父も最近は、頭ごなしに否定しなくなったのでずいぶん気持ちが楽になっています。
普通は、自分は変われても人は変えられないって言いますよね。
なので、こんなにも人って変わるんだとビックリするほどです。
それらは、やっぱり1年前に家に神棚を祀り、毎日手を合わせるようになってからだと思います。
それはそれは不思議なほど、心も体も穏やかです。
去年の今頃の日記には、生まれて初めて神主さんのところに行き、お祓いをしてもらう日を決めてきたって書かれていますw
あれからあっという間の1年でした。
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